絵には不思議な力が宿ることがある。長谷川等伯の国宝「松林図屏風」も不思議な力が宿った絵の一枚であると思う。
東京国立博物館では正月の恒例行事として、「博物館に初もうで」を開催している。
そのなかで、長谷川等伯の国宝「松林図屏風」が1月13日(月)まで公開されている。
「松林図屏風」は、墨の濃淡だけの荒いタッチで松を一気に描くことによって朝靄の湿感を見事に描き、「美術史上日本の水墨画を自立させた」と称される。
文句なく日本水墨画の最高傑作だ。
誰もがこの絵の前では立ち止まり、そして見入ってしまう。
不思議なのだが、実際にこの絵の前に立つと心の中に風が吹くのだ。
長谷川等伯は、能登の七尾で仏画師であったが、京に出てから狩野派などで学んで襖や壁面の全面に下地として金箔を押しその上に花鳥風月の絵を描く「金碧障壁画」に腕を揮う一方で、宋元画に学んだ水墨画にも影響を受け、独自の画風を確立させた。
長谷川等伯で思い出すののが、安部龍太郎が直木賞を受賞した小説「等伯」。
安部龍太郎は、狩野永徳を悪役に位置づけ、長谷川等伯と狩野永徳との対立、心の師の千利休の自刃、長男の死などの窮地なかで「松林図屏風」が誕生したと描いている。
実際のところ、狩野永徳と長谷川等伯は同じ時代に生きた。狩野永徳は「唐獅子図屏風」に代表されるように見る者を圧倒する豪快な作風であり、それと智積院の「楓図襖」を比較すると長谷川等伯の作風は繊細で優美な風情である。
「等伯」のラストで、秀吉の目の前で「松林図屏風」を披露する。
「縦五尺二寸、横十一尺八寸の六曲一双の屏風を立てると、霧におおわれた松林が忽然と姿を現した。霧は風に吹かれて刻々と動き、幽玄の彼方へ人の心をいざなっていく。それは絶対的な孤独を突き抜け、悟りへみちびく曼荼羅である」
「松林図屏風」には不思議な力がある。
安部龍太郎を直木賞に導いたのも、この絵の力によるものであるかもしれない。