若松節朗監督、本木雅弘主演の「海の沈黙」を見た。
画家とくに光のあたらない天才画家。それに贋作を取り上げているというので楽しみにしていた。
映画自体は、倉本聰が長年にわたって構想した物語を映画化し、豪華な出演者を集めているのだから出来は良いに決まっている。
興味を持ったのは、絵画の描写をどうするのか。
孤高の天才画家の竜次にどんな絵を描かせるのか。そこが、この映画の良し悪しを決める点。
結論をいえば、デッサンなど無視してぶ厚く油絵具で盛り上げたダイナミックな風景画にしたのは正解。これが写実的で上手くて上品な画家の絵では伝説にならない。
分厚く荒々しい油絵。見た人の心を鷲掴みするような油絵。
これは絵だけにいえるものでない。音楽でも、小説でも、独特の味があって、何故か心を動かされるものがある。理屈ではない。
世界的な画家・田村修三の贋作を描き、それを田村自身が見つけて、画家の良心から世間に公表する。その贋作が田村の心を動かしてしまうほどに完成された絵になっていたからだ。
竜次の最後の絵を、映像としてどんな絵にするか。
この映画の最大の論点。映画制作サイドには相当議論があったに違いない。
結論を言えば、本木雅弘の鬼気迫る演技によって、主人公の生涯をかけた最後の油絵は完成させた。そうして、この映画は成立したのだと思う。
奇しくも、東京都美術館で「田中一村展」を開催している。
神様から画才というギフトを受けった人間として、過酷な運命を歩まなければならない点が主人公の竜次と似ている。
竜次には最後まで陰のようにスイケンがついて回る。どんな天才画家の絵でも売る役割の者がいなければ世に出ることはない。
スイケンの存在がラストまであるということは、竜次の残した絵は死んだのちに評価されることを示唆している。