「モネ 睡蓮のとき」国立西洋美術館

 仕事納めの昨日(12月27日)、国立西洋美術館で開催している「モネ 睡蓮のとき」に行った。
 国立西洋美術館も金曜日と土曜日は21時まで開館している。その時間帯はさすがに混雑していないので、ゆっくり観覧することができる。

 昨年、上野の森美術館でクロード・モネの「連作の情景」が開催された。この時も大混雑していたが、日本人はモネが大好きなので、今回も好評を得ている。前回の上野の森美術館の「連作の情景」では、同じ場所で天候や時間、季節などが変化することによって表情が変わっていくことをキャンバスに情景として写し取ったモネの「連作」をわかりやすく説明していた。

 今回はその応用編。

 「睡蓮のとき」と題するだけあって、睡蓮の絵を中心に連作を強調して展示している。集められるだけの睡蓮の絵を世界中から集めてきたのは圧倒的。
 ジヴェルニーの睡蓮の池の水面に写し出される木々や空と光。
 一瞬の光を正確に写し取った絵画から始まって、イメージをキャンパスにそのまま写した抽象的な絵への変遷をわかりやすく説明している。

 そもそも国立西洋美術館には、モネの絵が多い。
 それは松方幸次郎の「松方コレクション」による功績である。

 松方幸次郎は1916年(大正5)年から10年間、ヨーロッパを訪れて膨大な美術品を買い集めた。ジヴェルニーのモネのアトリエに足を運んで直接作品を買い求めている。しかし、第二次世界大戦によって、松方の集めた美術品はフランス政府に接収され国有財産になってしまう。その後、大部分は日本に寄贈返還されることによって、1959(昭和34)年に国立西洋美術館を誕生させた。
 このあたりの話は原田マハが「美しき愚か者たちのタブロー」(文春文庫)でアート小説として発表している。
 原田マハは作中で、日本に美術館を作りたいという強い思いを以下のとおり、主人公の松方幸次郎に語らせている。

かつての君のように、ほんものの絵を見たくても見られない若者が、日本にはごまんといる。白黒ではないほんものの絵を、彼らのために届けたいんだ。日本にも、このルーブルに負けないくらいの美術館を創らんといかん。

 モネが活躍したのは、19世紀末から20世紀初頭。
 100年以上前に描かれた絵ではあるが、モネの絵は、いま見ても色合いに斬新さがある。目の病を抱えていたことも理由の一つかもしれないが、テレビやネット、カラー写真さえない時代に、ジヴェルニーに引きこもって描いた絵だとは信じ難い。
 また、それを見出して、アトリエに足を運んで買い求めた美術コレクターもたいしたものだと思う。

 大金持ちの松方幸次郎は、将来、値段が上がることを期待してモネの絵を買ったわけではないだろう。自分自身が欲しいと思ったからこそ睡蓮の絵をいくつも買い付けたのだと思う。
 画家の経歴や市場価値も絵にとっては重要な要因ではあるが、自分の部屋に飾ってみたいと思わせる絵が、その人にとっては本当に良い絵なのだろう。松方幸次郎のような買い方をするパトロンが多くいれば、いまは何者でもない無名の画家たちの未来を明るくすることになる。

 モネは自分の目で見たものをキャンバスに写しとった。そして、松方幸次郎は日本人に見せたい絵を買い付けた。そこには金儲けではない純粋の気持ちしかない。

 そう考えると、高尚で難解な美術の世界も意外とシンプルにできているのかもしれない。

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