「東山魁夷と日本の夏」山種美術館

 今年も皇居の新年一般参賀に行ってきた。
 昨年は前日に発生した能登半島地震のため中止になったので5年ぶり。
 大手町で箱根駅伝のスタートを見てから皇居前広場の大行列に並んで、第1回目の天皇皇后両陛下のお出ましを拝見させていただいた。今年もロイヤルファミリーが勢揃い。上皇上皇后両陛下のお元気な姿も拝見することができたので良かった。

 さて、一般参賀の舞台となった皇居の長和殿。
 この長和殿の「波の間」に東山魁夷の「朝明けの潮」(縦約3.8メートル、横約14.3メートル)の壁画がある。らしい。

 実は昨年の夏に山種美術館で開催された「東山魁夷と日本の夏」展でこの「朝明けの潮」と同じ趣旨の作品「満ち来る潮」を見た。

 幅が9mもある大作。山種美術館の初代館長の山崎種二が東山魁夷に直接制作を依頼したという。「東山魁夷と日本の夏」展では、この「満ち来る潮」を完成させるために、東山魁夷が各地を巡ってスケッチをした岩と波の水彩画などが展示されていた。
 試行錯誤を繰り返して一枚の大作が出来上がっていく過程が興味深かった。

 今年の一般参賀は天気にも恵まれ、2時間ほど行列に並んだけれど寒くないのでストレスなく待ち時間を過ごすことができた。雲一つない青空に日の丸とロイヤルファミリー。天皇のお言葉。万歳三唱。

 間違いなく、ここが日本の権威の頂点。

 権力におもねるつもりはないが、少なからず我が国の文化は権威によって守られていると思う。ある程度の権威は絵にとっても必要不可欠なものなのだ。
 しかし、人間は権威が大好物な生き物だから、権威におもねり過ぎると嫌悪感が生まれ、醜いものになる。権威好きな人間は、他人の権威を批判することもまた大好きなのだ。

 醜い権威は小説や映画の格好の題材となっている。
 絵でいえば、先日紹介した黒川博行の「蒼煌」は芸術院会員選挙の日本画壇の暗部を描いている。また、松本清張は「真贋の森」で贋作事件を題材にして形骸化した美術のアカデミズムを糾弾している。いずれの作品もすごく良い。

 日本人は常に権威について懐疑的だ。
 品の好い権威を維持させるにはどうしたら良いのだろうか?
 そういった意味も含めて、象徴としての天皇家の存在が我が国には必要なのだろう。

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