「大絵画展」望月諒子著

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 2025年も楽しみな美術展が目白押しだ。
 とくに、クレラー=ミュラー美術館から名品が来日する「大ゴッホ展」は見逃せない。ゴッホ展といえば、思い出したのが、望月諒子の小説「大絵画展」(新潮文庫)

 文庫本の冒頭、本扉の前にカラーで名画が並んでいる。これはかなり珍しい。モネ、セザンヌ、ルノワール、ゴーギャン、ベラスケス、レンブラント、そして最後にゴッホの「医師ガシェの肖像」
 そして、本扉の次のページに「―ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードに捧ぐ―」との献辞がある。
 名画「医師のガッシュ」の後に映画「スティング」。つまり、この小説は名画をめぐるコンゲームなのだ。

 物語はゴッホの「医師ガシェの肖像」がオークション会場において1億2,000万ドルで落札されるシーンから始まる。

 実際、バブル期の1990(平成2)年に、大昭和製紙の名誉会長が「医師ガシェの肖像」をクリスティーズにおいて124億円(8,250万ドル)で落札している。

 実は「医師ガシェの肖像」は同じ構図の絵が世の中に2枚存在する。
 第1バージョンの絵は日本人が落札した後、巡り巡って個人蔵となったが現在では所在不明になっていると言われている。
 第2バージョンの絵は、最初の作品を複製したものと言われているもので、現在はオルセー美術館に収蔵されている。
 どちらの作品もゴッホが描いた同じ構図の絵であるが、素人目に見てもこの2つの絵のタッチは異なっている。
 「医師ガシェの肖像」は何かと話題の多い絵であり、これらの事実を題材にして、望月諒子はミステリーに仕立て上げ、日本ミステリー文学大賞新人賞に自ら応募して受賞した。

 名画とミステリーは相性が良い。

 名画にはその背景に必ずストーリーが存在し、その事実が空想と混在させることによって、ミステリー作家は小説にする。
 読む側としては、小説を楽しみながら、そのうえ美術に接することができるのは有難い。今まで知らなかった芸術の世界を小説を通して知ることができれば、自然とARTの世界が広がっていく。

 一方で、国立西洋美術館の元館長さんが、原田マハの「美しき愚かものたちのタブロー」の文庫本の解説のなかで、「展覧会を見に来た多数のオジさんたちが揃って「原田マハさんの小説を読みましてね」とのたまったのだ。オジさんたちは、美術館が総力挙げて用意した展示企画やカタログにはチラとしか目を向けず、もっぱら「原田マハの眼」を通して作品を鑑賞し、満足してお帰りになった」と嘆いている。
 あえて厳しく言えば、それはカタログに魅力がないということに尽きるのではないか。どんなに暇なオジさんだって、つまらないものには目を通さない。

 絵画だって一緒。
 魅力のない絵の前には誰も立ち止まらない。興味のある絵だったら行列に並んでお金を払ってでも見る。
 厳しいARTの世界のなかでは、そんなことは常識のはずだが。

 さて「大絵画展」。
 コンゲームの小説なのでアクションの場面もあれば美術界の闇にも切り込んでいる。
 若手の画家の芽を摘む実力のない画家が登場したり、美術商が価格表を書き換えて絵画を売り捌いたり、銀行の倉庫に眠っていた担保として塩漬けにされた絵画を盗み出し、山奥の寂れた美術館で大絵画展を開催する。

 とにかく盛り沢山。
 前述したように、望月諒子はこの小説を自ら応募して日本ミステリー文学大賞新人賞を獲得した。その力の入れようは尋常ではない。望月諒子の気持ちが読み手に良い感じに伝わってくる。

 物語のラスト。絵画強奪の主犯の言葉が印象的。

 城田の目に、初めて、強い意志と光が灯った。
 「ぼくはあの百三十四点の絵を人に見せたいのです」

 たぶん、これこそが望月諒子の気持ちなのだろう。

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