昨年の流行語大賞は「ふてほど」だった。
ドラマ「不適切にもほどがある!」が若者の心をとらえた。どうやら令和の若者たちには、古き良き昭和の時代が新鮮な印象を与えるらしい。
本日、のん主演の映画「私にふさわしいホテル」を観た。
この映画、絵に関する内容ではない。
設定は昭和の終わりの文壇。その当時は、いまの時代と比較すると癖のある作家が多かったように記憶する。癖があるとは、つまりエネルギーがあるということ。令和の時代に比べると、昭和はエネルギーに溢れていた。
この映画でものんと大御所作家を演じる滝藤賢一はかなり個性の強いキャラクーを演じているが、自分自身のなかのピュアな部分を守るために、戦っている姿を演じている。
昭和の時代と現在を比較するとすれば、大阪万博がわかりやすい。
1970(昭和45)年の大阪万博では、岡本太郎の「太陽の塔」が象徴的な建造物となった。今見ても理解に苦しむ建造物であるが、当時は相当な批判を浴びていた。しかし、現在では大阪を象徴する建造物になっている。つまり、当時は批判を抑えつけるだけの岡本太郎のエネルギーがあって、結果的にそれが成功したのだ。
さて、今年開催される令和の大阪万博はどうだろうか。
お金をかけすぎるとの経済的な問題についての批判は聞こえてくるが、世界最大級の木造建築物となるリング状の大屋根のデザインについての批判はそれほど聞こえてこない。
デザイン的な価値はよくわからないが、素人的には工夫のないただの〇にしか見えない。
この〇のデザインの批判としては、唯一、「建築界のノーベル賞」とも称されるプリツカー賞を受賞した建築家の山本理顕が「リングはパクリにもなっていない。全然なっていない」と痛烈な発言をしている。しかし、昭和の時代だったらこれくらいの批判はあたりまえ。骨のある山本理顕のような切れ味の良い大人が沢山いた。
その頃は、第一線で戦っている表現者ほど唾を飛ばしながら議論をしていたのだ。しかも公共電波のなかで。堂々と。
我が国は豊かになった。
昭和の時代に比べれば大人になって成熟した国家になったといわれる。ただし、それを言い換えれば、我が国は、物わかりが良く冷めてしまった大人になったということ。
令和の時代に生きる若者たちは、昭和のエネルギーあるいは夢のあった80年代に興味も持ってくれている。
最近の若者は。。。と言うべきではないが、ひと言だけ言わせてもらえれば、若者たちよ、自分に正直に生きようとすればみっともなくなるんだよ、でも、その方が格好良い生き方なんだぞ、と教えてあげたい。
映画「私にふさわしいホテル」のなかで、主演ののんのハチャメチャな演技が光っている。怒りをエネルギーに変えて生きていく何者でもない作家志望の女性を見事に演じている。
この映画は絵に関する映画ではないが、小説家も画家に通じるものがある。
コメディー映画ではあるが、考えさせられるところが多い作品。
あまり宣伝をしていないのでヒットはしていないが、なかなか良い映画である。
ぜひ観てほしい。