「青い壺」有吉佐和子著 文春文庫

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 1977年に刊行された有吉佐和子の小説「青い壺」(文春文庫)を読んだ。50年近く前の小説だが、最近よく売れているらしい。
 このブーム、きっかけとなったのは昨年11月にNHKで放送された「おはよう日本」の特集で取り上げられたからだといわれている。

 絵の話ではないが、美しい芸術品について記しているというのでさっそく読んでみた。興味深い作品なので紹介したい。

 この小説は、無名の陶芸家による美しい青磁器が、所有者を転々とする数奇な軌跡を描いた十三の連作短編集。

 美しいものとは、いったい何だろう

 と、この小説は読者に問いかけているのだと思った。

 文庫本の解説で、平松洋子は以下のとおりに説明している。

 うつくしいものは、望もうと望むまいと、ひとの真実を露わにする。もちろん多くの場合、見る者、手にとる者に幸福をもたらすが、けっしてそれだけでは終わらない。

 この説明文がこの小説の内容を実に簡潔に教えてくれる。

 有吉佐和子は、映画化された「紀ノ川」「華岡青洲の妻」「恍惚の人」などの代表作を持つ女流小説家。映画化されるほどの人気作家でありながら直木賞を受賞していない。けっして評価が低いわけではないのだから、なにか大人の事情があったのかもしれない。
 亡くなってから再評価されるというのは、画家では田中一村などの例があるが、直木賞を受賞していない現代小説家には珍しいことだ。

 小説の最終章。

 美術評論家で名高い省造の師匠が、巡り巡ってスペインで青い壺を手に入れ、日本に帰ってから、偶然作者の省造の目の前で持論を披露する。

「うむ。名品だよ。南宋浙江省の竜泉窯だね。十二世紀でも初頭の作品だろう」

 この小説に登場する青い壺には、省造の判がない。釉薬が流れ込んで見えなくなってしまっていたのだ。
 これの伏線として、小説の冒頭の章で青い壺が焼きあがった時に、省造と妻が縁側で玉露を飲みながら会話をするシーンを思い出す。

「今年は春が早いんやねえ。鶯やろか」
「まさか。あの声は、ウソやったと思うわ。黒かったし、小さかった」
「ほな、天神さんから飛んできたんやね。鶯もウソも梅につく鳥なんやろ。お父さんが教えてくれはった。学問の学という字ィの下に鳥と書くんやてなあ、ウソは」
「いや、学問の学(學)から、子供とって代りに鳥と書くんやで」

 美しいものとは、いったい何だろう。

 少なくとも作者の名声や値段ではない。
 たぶん、美しいものとは純粋に見た者の心を動かすものなのであろう。

 有吉佐和子は、小説のラストに省造の心境を記すことで、この小説の幕を下ろしている。

そして京都駅につく前に一つだけ決意をしていた。往時の陶工が決して作品に自分の名など彫らなかったように、自分もこれからは作品に刻印するのはやめておこう、と。

 あるいは、有吉佐和子は美しいものを通じて、権威に対する批判を書きたかったのかもしれない。

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