「福田平八郎×琳派展」山種美術館

 山種美術館の〖特別展〗没後50年記念「福田平八郎×琳派」に行った。

 福田平八郎といえば、「漣(さざなみ)」が代表作。
 独特の雰囲気を持った前衛的な日本画家のイメージがある。

 しかし、展覧会を見て驚いた。大正期には徹底的に細密に拘った写実的な作品を制作していたものの、昭和期に入ったとたんに作風を一気に変える。つまり、デザイン的な日本画へと変貌する。

 大正期の代表作として、山種美術館が所蔵する写実の代表作「牡丹」(大正13年)は圧倒される。
 そして、その23年後に描かれた「筍」(昭和22年)。これも山種美術館が所蔵するが、造形の特徴をとらえたデザイン的に竹の葉が融合している。

 この変貌を、今回の展覧会では「琳派」の影響が理由として挙げられている。

 山種美術館が所蔵する俵屋宗達のデザイン性のある「槙楓図」や酒井抱一の装飾的な画面構成の「秋草鶉図」などを例にあげて解説している。
 さすが山種美術館。名品揃い。

 写実を極めた画家が自らの作風を確立させるために、変化していくことはよくある。

 ピカソだって最初からキュビズムであったわけではない。写実から始まって、ジョルジュ・ブラックの影響を受けて自己のスタイルを確立させたのだ。

 話は飛ぶが、これは、戸部良一ほかの名著「失敗の本質 日本軍の組織的研究」に記されている「自己革新能力」と共通するのではないか。

 日本は何故、太平洋戦争で負けたのか。

 「失敗の本質」では、「特定の戦略原型に徹底的に適用しすぎ、学習棄却ができず、自己革新能力を失ってしまった」ことにあると記されている。

 逆にいえば、ある一定の画家は、写実からの自己革新を行った結果、失敗せずに成功することができたのではないだろうか。
 当然、すべての画家に当てはまるわけではない。写実を極めて成功した画家もたくさんいる。

 そこで福田平八郎。

 福田平八郎は、自身の作風を「写実を基本にした装飾画」と語っている。
 まさに「自己革新」の画家といえるのではないか。